25.5.3
寂聴さんの現在住む京都の四季を通じて魅力ある街の姿、行事、歴史などを描いたものである。
京都に住みながら「旅情」とは如何にという気もしたが、何故か京都に限ってはピッタリした詞なのである。
彼女が京都に移り住んだ頃、古風な京都の旧家の人と話をしていて、
「うちも昔はぎょうさん、ええお道具があったんやそうすけど、いくさでみな焼けてしもて、ろくなものが残っとりまへん」というので、「あら京都は大東亜戦争の戦災はなかったでしょう」といったら、「へえ、そうどす。今、うちのいうてるいくさは、応仁の乱のことどす」というので、あっけにとられてしまったのを覚えている。
桓武天皇の平安の都以来京都の人々は未だに日本の本来の都は京都で、天皇様も軈て又京都にお帰りになるという言葉が冗談ではなく語る人がいる、という。
私は戦後間もなく税務署長として京に短い期間赴任したことがある。祇園言葉を覚える機会もなかったが、あの表向き実に柔らかな言葉はお上りさんの耳には快いが、なかなか外から来た人には心から打ち解けないところがあるという。しかし、私は、その後長く続く友人を何人か持つことが出来て、その噂が間違っていることを知った。
私は、父の職業の関係であちこちに住んだが、京都が何故か第二の故郷であるような気がして、今でも折りに觸れてフラット出かけることがある。
古都の魅力は尽きない。今しばらく「古都旅情」にひたろう。
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