25.3.5

「心に残るとっておきの話」(潮文社刊)を読んでいたら、私と同年の大正八年生まれで昭和十四年の徴集で兵隊となった人の話が出ていた。

身長も体重も甲種の基準に達せず、その上難聴であったので第二乙種がせいぜいだろうと高をくくっていたのが、どうした訳か甲種合格となった。

愚直に徹した人間で、軍服を身につけたその瞬間から、ただ一途に死ぬことだけを考えていた。

在満部隊を志願したら、その前にノモンハン事件で日本軍が惨敗、チタでの停戦協定の締結後であったために死期を逸した。

関特演(関東軍特別大演習)の大動員の際も激戦地への派遣に洩れた。

一応内地に戻って徴用で軍需工場で働いていたが、千葉県の我孫子に召集された。耳の病気で即日帰郷したが、我孫子で編成された部隊はアリューシャン列島のアッツ島に派遣され、山崎部隊長以下全員が玉砕することになった。

間もなく二度目の召集で麻布の部隊に入り、補充隊の要員となって本隊から離れたが、部隊は硫黄島で玉砕した栗林兵団であった。

こうしたものである。私も、昭和十九年の五月、「明日はお立ちか、お名残り惜しや」と当時はやっていた歌を唱いながら、関釜連絡船に救命具をつけて乗って北京に向ったが、その一月後に私が属していた栗林兵団は硫黄島に渡ったのである。転属が一ヶ月遅くなったら、同じ運命に遭っていたに違いない。

誰が仕組んだものでもない。すべてめぐり合わせ、運否天賦である。




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