戦後丸2年半ソ連に抑留されたのであったし、歌は好きなので当然ロシア民謡もいくつか覚えてきた。ただ残念なことには、口から口へ傳えられたものであったから、必ずしも樂譜通りでないものもあるし、又、古い民謡などは、日本でも同じであるが、CDなどになっているものと現地で唱われているものと必ずしも同じでない、という点も見のがせない。
ロシア人は歌がうまい。兵隊が行進中唱っている軍歌も自然と二重唱、三重唱になっている。日本の旧軍隊などでは考えられなかった。
長い厳しい冬から開放され、草も木も一斉に燃え、河の氷も融けて水が流れるようになると、春を迎えて㐂ぶ乙女達の合唱も巧まずして二重唱、三重唱になっていたのを思い出す。
ロシアの民謡は戦後の日本で歌声酒場などで盛んに唱われたことをダモイ(帰国)したわれわれは知ったが、その酒場の雰囲気は何故か左の運動家達と結びついているようで、わたしは殆んど足を踏み入れなかった。
今、これを書きながら、この間モスクワに出張した時ロシア人の運転手などから貰ったロシア民謡のCDをずっと聞いている。ロシア民謡の何はともない哀愁は何処からくるものだろうか。国としてロシアは好きになれないが、歌は別である。