24・9・5

 曽野綾子の都会、ここでは東京の讃歌であって、同感するところが多い。

 私は、生れこそ九州は大分県宇佐だが、小学校に入る前から横浜に住み、学校を終え、6年の兵役から解放されてから殆んど東京暮らしである。

 昭和49年から平成15年迄政治の世界で鳥取県は米子に現住所を定めたので、約30年間、東京と米子、半々の生活であった。

 この間、東京と米子を往復すること約2000回に及ぶ。いつも羽田空港から米子空港に降り立つ時に故郷に戻ったようにホッとするが、又、米子空港から羽田空港に降り立った時は、やはり故郷に帰ったような気がした。甚だ妙であるが、偽わらざる心境であった。

 鳥取は選挙区であったから、飛行機の中でも知った人に失礼しないように気を使ったし、街中を歩いても、少なくとも先方が顔を知っている人がかなり多いので、ボンヤリ歩いてはいられない。有効投票の半分以上も載いている境港などではとくに気を遣う。ホッとする暇もない。

 しかし、羽田に着けば、東京の町は広い。どこを歩いても、よくまあ顔の知らない人が沢山いるものだと思って、何とはなしの解放感に浸る。

 そこだなァ。曽野の言う都会の幸福のはじまりは。つまり、何をしても、どんな恰好をしても、何をつぶやいても、殆んど人の注目を集めることがない。どんな店で何を食をうと人の知ったこっちゃない。という自由さ。そして、食べるものでも、見るものでも、何でもある楽しさ。大都会は大洋であって、地方は池に過ぎない。この差。

 しかし、池に住むのは住んだで、お互いに生活を共にしている、一緒に息をしている安心咸がある。道を尋ねれば、近いところならそこまでついて行ってくれる親切さ。人々が、隣り近所、学校が同窓、勤務先で関係がある、毎日のようにどこかで顔を合わせる、飲み屋が一緒、などなど。ちょっと調べれば、二代前、三代前が親戚といった工合で、何やかんやで網の目のように繋がっている。噂はたちまち街中を走る。狭い代わりに、暖かくもあれば、一転冷たくもある。

 人間どちらに住むのが幸せなのだろうか。

 曽野綾子は都会の幸福を唱つた。誰か地方の、田舎の幸福を唱わないか。