24・9・1
ツアラレアンダーの唄うドイツ語の歌である。グレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマンと並んでスェーデンの三大女優と言われた彼女のアルトの歌のうち、この歌は思い出が深い。
昭和17年夏、海軍の短期現役(略して短現と呼んでいた)の試験を受けに築地の試験場に臨んだ私は、高文試験の行政科、司法科に合格していたし、この試験に合格した学生は先ず問題なく短現の試験に合格すると聞かされていた。
ところが、意外に眼で不合格となり、試験官の偉そうな人から、お国に盡す道は他でもあるからと慰さめみたいな言葉を貰って、すごすごと試験場を出た。私は、眼の前が暗くなったような思いであった。
というのも、学徒動員で半年繰上げ卒業が決っていた私は、大蔵省入省も決っていたが、もし海軍に行けなければ、10月1日陸軍に現役入營することになっていた。海軍は学生を大事にして、短現の試験に合格した者は経理学校に入校し、4ケ月の訓練を終えて卒業すれば直ぐ主計中尉に任官と優遇されているのに、陸軍に入ったものは、二等兵となってから訓練を受け、経理の試験、それも、甲種幹部候補生の試験に合格したものが、半年間経理学校で研修を受け、卒業してやっと主計見習士官になる、主計少尉になるのは入營して1年と10ヶ月もかかるという。海軍と大へんな差があるばかりでなく、最初は普通の兵隊として内務班でしごかれなければならなかった。
暗澹たる思いで試験場の門を出た私は、さて、どこへ行こうかと思ったが、足は銀座に向いた。学生時代五年余りも通った銀座ともお別れかと感傷的になっていたが、白十字に入ってレコードを何枚か借りて聞いた。その一枚がツァラレアンダーの歌であった。「三つの星」(Drei Sterne)という曲が気に入って何回か聞いた挙句買い求めた。それから入營まで何辺蓄音機でかけて聴いたろうか。
6年の長い兵役を終えてソ連から復員した私は、この曲のことを忘れたことはなく、詞も完全に覚えていた。
そのレコードは戦災で横浜のわが家とともに焼けて了った。
去年、ツァラレアンダーのCDを求めて、他の歌とともに、折につけて聴いている。聞けば、必ず試験場を出た時のことを思い出す。
しかし、私は思うが、もし、試験に合格して海軍の短現になっていたら、軍艦とともに沈んで戦死していた可能性も高かっただろうし、随分苦労はしたが、陸軍に入ったお蔭で生き延びて帰って来たのかも知れない。人の運はわからないものだ、という思いを深くする。