24・8・4

 東京新聞を読んでいたら(731日付朝)「浅草映画の灯消える」という見出しが目についた。

 浅草寺の西側に位置し、映画館などが集まっていた歓楽街、「浅草六区」の再開発計画で、現在残る映画館五館が10月までに凡て閉館することになったという。東京五輪を機にテレビの普及で映画館の廃業が相次いで今日に到っているが、日本初の活動写眞常設館・電気館が1903年に開館して映画館発祥の地となった浅草に、6区の跡はホテルと一体化した商業施設が建ったとされていて、映画館とは縁が切れるようだ。

 われわれ戦前に学生生活を送った者にとって6区はまことに懐かしい思い出のある場所であった。沢山の映画館の他に「オペラ館」「カジノ・フォーリー」「ロック座」などの演芸場が立ち並んでいた。「エノケン」こと榎本健一、オペラの田谷力三、藤原義江、戦後は

笠置シヅ子などが活躍していた。

 一高の先輩になる川端康成や高見順も浅草を舞台にしたいくつもの作品を残している。永井荷風も浅草によく通ったのか、楽屋で踊り子に囲まれている写真を見たことがある。

 川端康成は「虹」「浅草の姉妹」、「浅草紅団」など一連の浅草物を書いている。その中でも、私は、「化粧と口笛」という1冊は何遍も繰返し読んだほどである。

 凡て往時茫々きではあるが、6区の映画の灯が消えるとなって、私どもの青春の灯もついに消えるような淋しさを覚える。