24・7・21

 碁、将棋、マージャンなど勝負事から水泳、テニス、野球、ゴルフ、書道、油絵、小唄、流元、演歌、詩吟などおよその余技というか遊び事というか、に手を出してきて長い人生になる。いずれも下手の横好きの域を出ない、カメラもその1つである。

 小学校の頃、ピンホールでフィルムに写し、現像、太陽光での焼付けという原始的な写真が始まりであった。父が浅草で買って来た36ミリの映写機も短いフィルムを回しては楽しんでいた。

 中学生になって、やっと普通のコダック型のカメラを買ってあれこれ人間や景色を写していた。その頃、友人の父がドイツから持ち帰ったライカを時に使わして貰って、自分も是非そのうちライカを手に入れたいと思っていた。

 その思いを果せたのは、今もよく覚えている。昭和29年香港でライカのF2を手に入れた時である。1ドル360円時代で200ドルであった。

 それから人並みにカメラ遍歴が始まるし、写真も随分沢山写した。

 私は、外国を歩くとき、できるだけ街の看板を映すようにしている。随分溜まったが、そのうち「世界の街角」という題で写真集を出すのが、私のささやかな願いであるが、さて、いつ果たせるか。