24・6・5
わからないものである。というのはサッカーの人気のことである。
私達が子供の頃も、むろんサッカーはあった。しかし、今のサッカーはアソシエィション・フットボール、略してア式蹴球、ラグビーはラグビー・フットボール、略してラ式蹴球と呼ばれた。
中学生の頃は、運動の時間は、体操、それもデンマーク体操などといわれたものの他は、大てい、フットボールであった。
私は、5年生の時、雨上がりのグラウンドでラグビーをやっていた。丁度こぼれ球を拾って50ヤードも独走をし、もう少しでトライというところで、肩先きにタックルされた。仰向けに頭を下にして落下し、瞬間、意識不明となり、かつがれて帰宅した。
さあ、それからが大変で、学年試験の前だというのに九度以上の熱が何日も続いた。いわゆる鞭打ち症状であった。後からレントゲンでみたら頸椎の第4と第5の間がずれていた。
後に、大学を出て、入学してから馬に蹴られて、も1度鞭打ち症状となった。戦友の不注意による事故であったが、入院が1ヶ月に及び、その間厚い絆創膏の包帯を吐けるだけ息を吐いて巻きつけるという、まことに原始的な治療を受けた。その間、大きな息をつくことも出来ず、階段を昇るにも本当に苦しい思いをした。
この2回の鞭打ち症状は、ずっと後まで後遺症があって、時々、肩が猛烈に痛くなり、首が全く動かなくなり、2人の人にジーッととそろそろ頭と肩を動かないように固定して持ち上げて貰わないと起き上がれないようなことがあった。ソ連抑留中にも起きて、ロシア人の医者に説明するのに往生した。
ともあれ、私は、ラグビーは好ましくない思い出がつきまとっているが、サッカーは楽しかった。
野球に代って、サッカーがこんなにブームを引きおこすとは考えられなかった。第1、1時間経っても1点も入らないようなゲームは飽きるに違いない、と思っていた。
それが違った。もっとも、サッカーブームの初めの頃は、確かに日本人の選手の動きは鈍く、ボールも飛ばず、ヘッディングは外れるし、はがゆいばかりであったが、どうして、その後の進歩は大したもので、見るに耐えるようになった。
今や、日本中にグラウンドが造成され、チームの数も増え、試合毎に大勢のサポーターを集め、熱狂的なファンを生むようになった。
1部の選手を除いて、世界的レベルに達しているとは言い難い日本のチームではあるが、まだまだ強くなると思うし、楽しみをもって期待している。
ただ、いい選手を確得するには、大枚の金がかかるようであるし、サッカーに良いアスリートが集まるようになると、プロ野球がダメになってくるのではないか、と思うと、野球好きな私は、手放しで㐂んでもいられない気がする。が、ともあれ、スポーツが盛んになるというのは、健康で、明るい社会に繋がる、と思っている。