24・6・7

 退屈な時間をどう遊ぶか、が副題である。退屈で仕方がない日など、殆んど経験したことがない、と自分では思っているが、ふと、こういう本を読む時に、いろいろなことを考える。

 長い人生をふり返ってみることはあるけれど、同時にまたこれからの時間の限られていることを思うにつけて、回願でつぶす時間は勿体ない気がする。

 したいことは山程ある。今書いたことと矛値はするようであるが、長い人生の回願録をできるだけ詳細に綴りたいとも思うし、これからの時間をどう過ごすかをじっくり考えたいとも思う。

 いずれにしても自己流の時間の遣い方しか、ないわけで、「何とでも遊ぶ」(本書の一章の題)ことができれば幸せではないか。