24・6・1

 「鋏の使い方も人の使い方もそれなりに使いようがある、上手か下手かで大きな違いでるという意」(岩波書店「ことわざ辞典」)

 民主党政権になったとき、官僚主導の政治を改めるのだからといって、いわいる政務三役の会議で凡て物を決めるとか、事務次官会議を廃止するとか、勢い込んだ発言と処置が続いた。

 私は、お手並み拝見だな、と思っていた。

 極端に言えば、何も物を知らない人が3人集まっても、文珠の智恵が出るわけがないし、頭がいろいろ走っても、肝心な手足が動かなければ何ごとも出来ないのにと思っていた。

 果して然りである。昔から、過ちを改むるにやぶさかなることなかれ、と言う。

 私は、政治主導を否定しているのでは、毛頭ない。やはり、重要な政策は政治家が責任をもって決めるべきものである、ただ、政策を決めるに当たり、過去にどういう経緯にあったか、何故うまく行かなかったか、それを進めるにはどういうことが必要か、いくら金がかかるのか、どういう影響をどの方面に及ぼすのか、などあらいゆる点を検討する必要がある。

 思いつきで、事を決して後悔するようなことがあっては、まことにみっともないばかりか、一般の国民が迷惑をする。 

 役人を馬鹿に例えるつもりは決してないが、鋏としよう。まさに日本の役人は出来のいい鋏である。その能力を発揮させるには、使いようである。これを上手に使わないではまことに勿体ないではないか。