24.5.20

猪瀬直樹が作家であることは承知していたが、幸か不幸かその作品は殆んど読んだことがなかった。

この間、書架の本の背を眺めていたら、この本を発見した。見返しを読んでみると平成十年に買ったと書いてある。早速読み始めた。

大まかに言って川端康成と大宅壮一の二人を中心とする物語であって、正直、大へん興味深く、殆んど一気に読み通した。

これほど考証的にも念を入れ、優れた人物像の描写になっているとは思わなかった。

とくに川端康成は一高の先輩であったし、何よりも、私が一高に入った頃「雪国」が出版され、年若くして、今から考えるとよくわからないで読んでいたところもあったが、何巻かの選集も買ったし、その後も引続いて殆んど凡ての作品を読んでいた。

私が一番熱心に読んだのは「化粧と口笛」であって、十ぺんは読んだ。

猪瀬も書いているように、川端康成は人と会っても、あの眼でじっと顔を見ているだけで、一言も口をきかないこともあったらしく、私の仲間の一高文芸部の委員二人が鎌倉の家を訪ねた際、快く会ってくれたものの、二時間も黙って坐っていたので、もう持ちきれなくなって帰って来た、と話していた。

彼が定宿にしていた四谷の福田家の係仲居の雪子が銀座でバーを開いた時、「お雪さん」という名であったが、それは川端が命名し、部屋に色紙がかかっていた。

開店の日に、私どもが何名か連れ立って、その店に行き、店の隅に坐っている川端に先輩先輩と話しかけたが、黙って優しい顔で応えていた彼は、やがてスーッと消えて了った。

大学に入って間もなく、親しい友人と二人で、彼が若い頃から使っていた湯本館をスタートして、伊豆の踊子の一行のルートを歩いたことがある。

天城トンネルも越え、湯ケ野から下田までの道は下駄履きの足には厳しかったが、もちろんかすかに期待していた踊り子の一行に会えるわけもなかった。

湯沢の高半ホテルも泊って駒子の部屋も見た。あれやこれや、川端作品はいわば、われわれの青春とともにあった思いである。

後半の大宅壮一については、何回かお会いしたし、いくらか作品をよんではいるが、それこそ該博な智議と立派な文庫の存在を承知しているに過ぎない。



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