24・4・30

 所用を兼ねてゴールデン・ウィーク直前に1週間ほどハワイに行っていた。さあ、78年ぶりだと思うが、ハワイは暖かく、明るく、いつ来てもリゾートとしてはいいところだと思った。もっとも、今年のハワイは涼しく、外を歩くにもセーターを羽織っていた。

 ホノルルのあるオアフ島は平地が乏しく、飛行場の東側に多かった住宅街もだんだんと西に伸びて、おまけに山へ山へと上って来てるようであった。

 パイナップルやパパイヤなどの果物などは別として、殆んど生活必需品を輸入や移入に頼っているハワイは、昔から物価が高いと言われていた。日本で言えば、沖縄のような感じである。

 もうこの年になると余り買いたいものもないので、專ら、おいしいものに興味をもっていたが、日本人観光客の行くところは限られているような気もしないではなかったし、割と新しい店があった。世界中日本食ブームだというが、確かにハワイでも以前に比べて日本食を呈供する店は増えている。

 初めてハワイに来たのは昭和30年(1955年)7月の初めであって、プロペラ機はウェーキに給油で寄ってホノルルに着いた。先ずワシントンに用事があったのであるが、羽田から真直ぐ行く便は無論なくて、私は、羽田―ウェーキーホノルルーサンフランシスコと飛び、ついでにロスアンジェルス、シカゴに寄ってワシントンに着いた。

 海外渡航者の外貨持出しの制限が厳しい頃で、私は、本省課長クラスとして115米ドルであった。ホノルルで総領事館が予約して呉れたホテルは、ハワイアン・ヴィレッジのコテイジであって、3LDKの立派な一戸建の部屋で、聞けば、1晩泊まるだけで15ドルだという。

 あらあ、大へんなことになった、この先、どうしてやって行けるだろうか、と憂うつになったが、サンフランシスコでは13ドル50セント、大体その以降は、アメリカでも、ヨーロッパの各地でも34ドルの範囲で納まったので安心した。

 1ドル360円の頃であることは勿論である。

 10日いて毎日予算局に通って、図書室で参考書を拡げたり、局の人の話を聞いたりしていたが、ワシントンでのホテルはプレジデント・ハウスに近いホテルで、黒人の作業員が多かった。そういうところは大体安いホテルだと聞かされたが、それでも倹約のため、朝からホテルの外の、朝ならば、ドラッグ・ストアーで、晝、夜は街のレストランで済ませることにした。大きなグラスに1杯、オレンジ・ジュース、ミルクを飲み、トーストを食べ、コーヒーを飲んでも1ドルぐらいなものであった。

 昼や夜にビフテキを食べても、23ドルであって、安心して旅行を続けられると思った。もっとも、味は別であるが。

 西海岸は別として、ニューヨークでも和食の店は、高そうなので近がよらなかったが23店だと言われていた。23年前に例えばロンドンに和食の店が400あると聞いて、驚いたものである。もっとも、どこでも、日本人の職人がいるところは殆んどなく、和食らしいものを食べさせるところが多いのではないか、と思う。

 和食は、ダイエット食と言われている。結構である。たしかに、外国で見かけるビックリする位ふとった男や女は、日本では殆んどみかけないところをみると、そうかもしれない。

 結構なることではないか。米や醤油など日本の食品の輸出が伸びているというから。