24.3.27

今日(327日)東宝スタジオで「高峰秀子を偲ぶ会」に出席する。映画全盛時代、50年間に300本もの映画に出演した本当に女優らしい女優であった。東宝スタジオでの偲ぶ会というのも、ふさわしい場所であった。

家内が弔辞を読んだが、会場には宝田明、杉葉子、八千草薫、小山明子、星百合子など昔懐かしい顔ぶれがそろっていた。

勿論、会場には高峰秀子の夫君、松山善三が秀子の晩年共に暮し、養女にもなった齊藤明美の介添えで出席をし、言葉少なの挨拶を述べていたが、彼は奇しくも私と同じ横浜育ちで、しかも根岸小学校の六年後輩であることが、昔、高峰夫妻とわれわれ四人で食事を共にした時にわかったことであった。会場で根岸小学校のことを話したら、思い出して懐かしそうな顔であった。毎朝、善三の使う鉛筆を何本か綺麗に削って並べておくのが私の仕事だと秀子が語っていたことを思い出した。

秀子の数ある映画の中からほんの一部抜き出した場面が会場で映し出されていたが、帰宅して余韻さめやらず、買っておいたDVDの中から「浮雲」一巻を見た。言うまでもなく原作は林芙美子のもので、「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」という詞で幕切れになっていた。

普通、映画の最後は「終」と出るが、この映画にはそれがない。名プロデューサーといわれた藤本眞澄はすれば不満であったが、成瀬監督が言うことを聞かなかった、という伝説が残っている。

虚無的なダメ男(森雅之)とオンリーにまで身を落した女(高峰秀子)の別れようにも別れられず、腐れ縁のメロドラマは流浪の果に陰鬱な雨の降り続ける屋久島でついに女が死ぬ。その床で男が号泣するという結末で終りとなる。

今まで高峰主演の映画は「馬」、「銀座カンカン娘」、「カルメン 故郷に帰る」、「二十四の瞳」、「喜びも悲しみも幾年月」、「女が階段を上る時」など見ているが、どの映画を見ても、わざとらしさのない、役に成りきった、ありふれた美人ではない不思議に綺麗な女優であった、と思う。