24・3・19

 徳川の世の中のことである。遠距離の物資の輸送は殆んど舟運によっていた。

 幕府直轄地・天領の米を積んだ船は御城米船と言われていたが、千俵余りを積んだ御城米船が熊野灘の先、大王崎で難破し、水舟となったその船から瀬取りと称して村の一同が米を略取し、各家に収い込んだが、それがバレて重罪となり、厳刑を受けたという物語である。

 吉村昭らしい詳細な調べから書き綴ったドキュメンタリーの物語はなかなか読ませるものがあった。とくに村中の人が口を合わせて守った秘密が、ぐれて村から逃亡した男の密告からバレて行くという筋道はよく描かれている。