24.3.5

井上靖のものを久しぶりに読んだ。彼の作品は以前いろいろ読んだが、朝日新聞に連載された「氷壁」は前穂高の岩場で起ったナイロン・ザイル遭難事件に想を得た小説で、毎日最先きに読んだことで印象に深い。

昨夏、家内の司葉子が出演した「女の一生」の観劇を兼ねて、ロータリーの人達と古都金沢を訪ね、旧制四高の古びた校舎の前に立った時、ここで学んだ人々のことをふと思った。井上はここで柔道、それも寝技一筋の修行で三年も暮したという。旧制高校の柔道と言えば、四高と並んで六高、松校(松山)が三強と言われたという。私の議員時代の後援会長だった日商会頭の永野重雄は六高、地元鳥取県境港商工会議所の会頭松本豊は松校の柔道の猛者であったという。私の義弟で医者の佐藤もここの卒業生であった。

古い塗物の店の前に立って、四高の校舎を臨んでの感慨であった。

井上は戦時中、わが地元の中国山脈に近い町日南町に暫らく疎開していたという。その縁で日南の中央公民館には井上靖の部屋が松本清張の部屋と並んであり、又、井上と柔道仲間の横地治男が作った米子のアジア民族博物館には井上靖の記念館があり、彼の書斎をそっくり引っ越した様な立派な部屋があり、未亡人が暫く館長をしていた。「通夜の客」は日南町在住時代の作である。

彼の「明日来る人」は週刊朝日の連載であったと思う。そこに登場する一人の人物のモデルは大阪商工会議所会頭であった杉道助であったと言われているが、自分で薪を割って風呂をたてるのが趣味であるとあった。そのことについて、後年、ジェトロの理事長となっていた彼にある宴席で尋ねたところ、モデル云々については笑っていたが、薪割りは本当であると言っていた。

そして、その彼が亦私の家内が大阪毎日放送に秘書として勤めていた時の会長であったという。世の中はいろいろ思いがけない御縁で繋がっているものである。

彼は根が詩人であり、その文章にも何かいちずにひたむきに生きる心を持った人々が登場するのに打たれる。

私の一高時代のクラスメイトで学習院の教授もした長谷川泉の詩集の序文を井上靖と並んで私も一筆書かせて貰ったが、その出版記念会で初めてお会いし、並んで祝詞を述べたのが、思い出となっている。

「一期一会」は彼のエッセイであるが、又、遺書とも言うべき一本であると思って読了した。

一期一会という言葉は、たいへんきびしくはあるが、いい言葉である。と同時にたやすく口にするような言葉でもないと思う。

私は「一日生涯」という言葉を好んで、求められれば色紙にも書くが、その心は一期一会に通じるものがあると思う。一日を再び帰らざる一日と思って生きる、という意味で、人々の交わりで言えば一期一会になるものと自分では思っている。