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知人に薦められて読む。太平洋戦争中のあのゼロ戦をめぐるドキュメンタリーの物語である。

宮部久蔵なる名パイロットの孫建太郎が天才だが臆病者と言われた祖父の実像を何とかして把握したいと当時の戦友を訪ね歩いて話を聞く、という形をとっている。

ゼロ戦こと三菱零式艦上戦闘機は皇紀二六〇〇年(昭和十五年)採用されたので、零式と呼ばれたが、開戦当初は世界最高速度を出すと同時に旋回と宙返の能力、つまり格闘能力がずば抜けていた。機銃も七.七ミリの他炸裂弾を発射する二〇ミリ機銃が装備されていた。その上何よりも驚異的な三〇〇〇キロという航続距離をもっていた。戦闘機としては最高性能を備えた飛行機であった。

宮部久蔵は海軍の特務少尉であって百戦錬磨、撃墜機数は公式に記されてないものの百機を超えるといい、米軍に怖れられていたが、「娘に会うまでは死ねない。生きて帰るという妻との約束を守るために」と言い続けていた宮部は人命の貴さを全く無視した特攻攻撃に反対し、部下にも事あるごとに死ぬな死ぬなと言い続け、危機に何度となく部下を助け、僚機に犠牲を出すことを極端に嫌った。その彼が、幾多の特攻の兵士を見送った後は自ら特攻を志願をして南海の空に散って行くという涙なくしては読めない物語である。

山本五十六海軍大将を初め、幾多の昔懐かしい名前も出てくるし、又ミッドウェイ、ガダルカナルなどにおける激戦の模様も随所に出てくるが、何といっても心を打たれるのは宮部久蔵なる特務士官のリアルな人物像である。

あのゼロ戦も改良を重ねはしたが、戦いの後期にはグラマンF86Fやシコルスキーのような優れた戦闘機にはかなわなくなったという。それに何よりも数が違う。墜しても墜しても飛来してくる米軍の飛行機に表徴される兵器の物量の差は如何ともいたし方がなかった。空を制せられた日本の軍隊が如何に無力であったか、私も支那の戦線で身をもって知らされている。精神力だけでは、また訓練だけでは戦いには勝てないことを充分に思い知らされた時に、日本は破れるべくして破れたのである。