23・12・12

 立川談志さんが病んで、間もなく回復したと聞いたので、電話をしたのは2年ぐらい前のことであるが。「もうダメだが、未だ死なないよ」といつもより低いガラガラ声の返事であったし、翌年の年賀状も貰ったので安心していた。ところが先月の訃報であった。

 私は、落語が好きで、中学生の頃は部原い落語全集を愛読し、高校生の頃は上野の鈴本に度々通い、長じてはテープやCDを車中で聴くのを楽しみにしていた。

 談志さんはいつ頃からか知り合いようになったか、思い出せないが、水泳の好きな彼は、日本海で泳ぎたいためさ、といって選挙応援を兼ねて再三鳥取に来てくれた。古典を語らしたらあれ程才能のあるはなし家は減多にいないと思っていたが、頭と舌の回転が速すぎるためか、なかなか笑わない聴衆に呆れたり、ぢれたりする彼の顔を見ているのも楽しかった。

 何年か前議員会館の部屋に来て、ポンポンした口調で話をしてさっさと帰って行ったのが会った最後ではなかったか。

 今月21日のお別れ会には是非行きたいと思っている。