23・11・1

 インドネシア政府は、日本の支援を受けインドネシアのジャカルタ首都圏に新しい空港と国際港湾を建設する。2020年前後の稼動を目指し、民間投資を含めた両案件の総事業費は少なくとも5000億円の規模に達し、日本政府は円借款などを活用して協力、インフラ輸出と企業進出を後押しするという。

 私は、インドネシアを初めて訪れたのはまだインドネシアとの賠償交渉も纒っていない昭和29年の夏であった。折から国会議員の選挙であったが、字を知らない人が多いとかで、ジャカルタの街の至る処に貼られていた候補者(党?)のポスターには字でなく動物やら植物やらの様々な物の簡単な絵が描かれていた。市内の建物はオランダ植民地時代のものが多く、華僑の勢力が強く、漢字の看板が氾濫していた。

 以前はポインテンゾルグと言われていたボゴールの広大な植物園を見たし、又、夜はジャカルタのヨットハーバーで明るく輝く南十字星を見たことを思い出す。

 それから20数年後再び訪れたジャカルタの街は様変わりするように開け方で、ホテルやビルが立ち並び、漢字の看板は殆んど消えていた。戦後独立した国々の強い息吹きを感じたが、さて、今は、どんな姿なのであろうか。アジアの力を感じさせてくれるであろうと思っているが、まだ訪れる折がない。