23・10・9
この間、白井佳夫という映画評論家の「銀幕の大スターたちの微笑」という本を読んでいたら、彼と池部良との対談にこんな場面があった。
池部 そうなんですね。僕は東宝に身を置いて、東宝が好きだし東宝で育ててもらったという恩もあるし、いろんな意味で東宝に愛着はあるんです。だけど芝居そのものからいったら松竹ですよ。
白井 東宝でやられた昭和32年(1957)年の「雪国」。あれは名コンビの三浦光雄キャメラマンが亡くなって。「夫婦善哉」から「猫と庄造と二人のおんな」までふたりですごい画を撮っていた豊田監督が、あんまりなじまないキャメラマンと組んでやったので、現場ではとてもジレたんですってね。当時の助監督さんに聞きましたよ。現場で池部さんと岸さんの呼吸が合わないというので豊田さんがジレて、「池部ちゃん、惠子ちゃん、今夜僕がホテルとってあげるから寝ておいで。そしてあしたの朝、呼吸を合わせておいで」といったって。
池部 そんなことはいわないよ(笑)。その助監督もいいかげんなやつだな。あれは三者三様の思いがあったような気がするんですよね。岸君は「雪国」の駒子という役に陶酔していたには違いないんだけれども、フランス人監督イブ・シアンピとの、結婚問題があった時でね。
白井 ちょうど悩んでたころですか?
池部 うん。どういうふうに悩んだかは知りませんけどね。それと、岸惠子という人は駒子のイメージとはだいぶ違う。変にモダンなんですね。あの人の顔は。僕のやる島村が、岸惠子の駒子をおぶって、川を渡るシーンというのがあった。何回やっても豊田さんが、「ダメです、もう一回」というのね。それで岸惠子が「どこがいけないんでしょうか」といったら「それがいけないんです!そんな聞き方、しないでください。どこがいけないのか、自分で考えなさい」というんです。
白井 やっぱり豊田さんは、ジレてたんでしょうね。
池部 「あなたは池部さんにおぶさってはいるけれども、駒子がおぶさってはいません。岸惠子がおぶさってます」というの。それは僕もよくはからなかったし、彼女もわからなかった。だけどね、ひょっと気がついたら、彼女ははおぶさるときに横向きにおぶさるんです。つまり僕にお尻に手を回されるのが恥ずかしいからね。駒子というのはそういう人じゃないわけ。もっとあっけらかんとした、それでいて悩む人だからね。おぶさる時だって足をバンと広げてね。
白井 むしろさわってもらいたい、というくらいに。
池部 そうそう、そのくらいの人じゃないといけないわけね。それで「惠子ちゃん、足を広げておぶされよ」といったんです。「足、広げるの?」「そうだよ。やってみろ」といって、それでやったら一回でオーケーになった。つまりそういう自意識過剰のところがあるんですね。
へへーと思っていたら、偶然、10月9日の朝日の朝刊に「仕事力 非日常を控えて生きる岸惠子が語る仕事」というコラムに「いい映画監督が師であった」として次の一文があった。
(前略)
生意気な女優はまた、監督にとっては鍛えがいのある女優だったのではないかと思います。「雪国」の豊田四朗監督には、駒子役の私が「芸者になっていない」と何度もダメ出しをされました。初日の第一カットが、雪解けの冷たい川を池部さんにおぶさって渡るだけなのにNG25回(笑)。温泉芸者という、今まで自分の中にはなかった人物がある瞬間ふっと自分と入れ替わる時がある。それを作り出してくれる名匠に恵まれました。
(後略)
映画でも舞台でも俳優がその人になり切るというのは難しいものだと感じた。
池部良は先年亡くなったが、私の家内(司葉子)が「君死に給うことなかれ」で彼の相手役となったのが。そもそも芸能界入りのきっかけとなったこともあり、司と結婚した私もいつしか彼と親しくつき合うようになった。
茅ヶ崎にあるゴルフ場300でプレーをする度によく思い出すのは彼とプレーをしたことであった。何回かコースを回ったが、ともにハンディ13で永世スクラッチでやろうチョコレートを握っていた最後が10年位前であっあが。最後に回った時、私は大負けして口惜しい思いをしたが、それを取り戻すこともなく、彼はいってしまった。
岸惠子は県立横浜第一高女の出で、私は県立第一中学の出、この両校は何かと対照にされて、昔のことであったからこれという生徒間の交流もなかったが、何となく親近感をもっていて、昔話を交したこともある。
この御両人が雪国で島村と駒子の役をやったという。たしかに岸惠子は芸者駒子という役柄は必ずしも合わなかったかも知れないし、いやまてよ、案外シンが強くていまどきに純粋に生きる姿を演じるには適していたのではないか、と思ってみたりする。
川端康成の「雪国」の舞台となったという越後湯沢の高原ホテルへは私もかって雪の頃行ったことがあるが、「駒子の間」というのがあったりした。
駒子のモデルとなった芸者は世に出るのを避けていたという。
ともあれ、まだ10代の高校生の頃初めて読んだ雪国はその年頃の者としてわかったつもりであったが、その後何べんも読むにつれて、少しづつ本当の意味がわかってくるような文章もあった。じっと相手を見つめてたじろかない、見様によっては冷たい、大きく見ひらいた彼の眼を思い出す人は。その冷たさの底にある温かさが読みとれただろうか。