23・9・14

 去年は行けなかったが、今年は又モスコウへ行って来た。全国強制抑留者協会の会長としてである。10回を越えるモスコウ行きは毎年九月初旬か中旬で、夏休みが終えて、寒くなる前を考えてのことであった。

 ともあれ、われわれの団体は昭和45年発足以来、二つのことの実現を目標として活動を続けて来た。その一つはソ連が昭和2089日、日ソ不可侵条約を一方的に破棄して満州、北朝鮮、樺太及び千島に侵入し、あまつさえポツダム宣言第九項に違反して将兵60万人を日本に還送せず、ソ連邦内奥深く運んで6万人も死亡させたことを謝罪すること、一つは抑留間の強制労働に対して賃銀を補償することであった。

 以上の二つについてソ連邦、そしてソ連邦崩壊後はソ連共和国に対して要求を続けて来た。

 ロシアは第一の点については、エリッィン大統領の来日時宮中晩餐会において彼の謝罪の詞があったとし、第二の点については日ソ共同宣言第六項における相互の請求権放棄の規定で決せられているとして全く応じる気配もない。

 われわれば、平和条約の締結において共同宣言第九項とは異なる四島一括返還を求めており、六項についても抑留者の請求権については除外することを定めればよいではないか、と主張しているのである。

 終戦以来66年を経過したといっても、懸案は風化したとは言わせない。是非その要求の実現を目指して努力して貰いたい、と国に要望すること切である。