23・9・4

 小島信夫は旧制一高の2年先輩で、文芸部の委員をして、校友会雑誌に小説を発表していたから名前も良く知っていたし、一面識はあった。

 私は、小説を読むのに打ち込んでいて、授業は落第するぎりぎりの線まで休んでいた。年間70日が限度で、例え成績が良くとも、1日でもその限度をオーバーしたら落第ということになっていた。

 それはともあれ、小説を読んでるばかりではもの足りなくなって、自分でも書き始め、2年の時編集長となった向陵時報に掲載し、校友会雑誌に投稿した。

 文芸部の委員では、2年上の小島の他中村眞一郎、川俣晃自、1年上の加藤周一などがいた。私は、3年生の時三回校友会雑誌に掲載された。いずれも今読んでみれば、至って気羞しいような未熟な作品であるが、私には忘れ難い記念である。

 その後、小島信夫のものは折に触れて読んでいたが、とにかく、その年代の作家として常に学殖が豊かな存在であった。

 戦後かなり経って度々彼の消息を聞き、又、軽井沢で何度か会ったし、島根のどこかに居を移した話も聞いた。

 「残光」は最後の作品と言われている。ところどころ脈絡のわからないところもあったが、彼の独得の文章は何故か魅せられるところがあった。大したことをいっていないと思わせながら、直截な感じ方をそのまゝ筆にしているようなむきがあった。年をとらないととても言えないようなことを何気なく言う人がいるが、それに近い。

 残光を半分ほど読んだ。残りを読んでみよう。