23・6・15
成田空港を使うことが少なくない。一昨年は5回海外に行った際成田から出発した。その度に成田空港開設の頃のいろいろな障碍を思い出すのである。
それをここに繰り返して述べるつもりはないが、あの当時一坪運動と称して成田空港予定地の土地を買って空港開設を阻止しょうとした社会党の代議士達を始めとする多くの人達、団結小屋を作り、不法建築にも拘わらず電気、ガス、上下水道、電話までつけて頑張っていた人達はその後どう思っているのだろうか。
私の地元米子空港の滑走路の2000メートル延長の際も戦闘機が飛ぶようになる懼れがあると反対し、ジェット機の就航にも反対した社会党議員などの人々に対して、ジェット機の乗航を拒否するべきではないか、と言ったことがある。
今ではこれらの反対運動をした人達も口を拭い、知らん顔をして飛行場を利用しているではないか。
敢て不明を羞じてほしいと思うが、過去のことは過去のこととして、今後もこのような反対運動の先陣を切るようなことは止めてほしいと思っている。