23.6.1
この間テレビを見ていたら美空ひばりの歌が流れていた。いろいろなことを言われた人であったが、あれ程の歌のうまい歌手は滅多に現われるものではないと思っている。演歌はもとより、あらゆる歌を自由自在に唱いこなす。見事なものであった。
彼女本人に会ったのは、二十年も前名古屋の有名なクラブで、顔見知りの木原光知子、ひばりの有名な母親と一緒であった。クラブのママが引き合わせてくれた。彼女は横浜の磯子小学校を出たが、その隣の根岸小学校が私の六年間学んだところで、そんな意味でも親しい感じをもっていた。歌に全然興味を持っていない私の父親もひばりの歌だけは好んでいた。
ママがどうしてもひばりの歌を本人の前で唱えという。仕方がないので、ピアノの伴奏で唱ったのが「悲しい酒」であった。
私が妻を亡くして淋しくしていたある時期、夜屡々小さなスナックのカウンターで一曲に二十円のサウンド・ボックスで聞いていたのがその曲であった。
ひばりさんは、大へんいい歌を聞かせていただきました、と言って、後で聞くと滅多にないことだそうだが、その場でピアノの演奏で四曲唱ってくれた。最後が「悲しい酒」であった。私は今でも彼女がその歌を唱った時の顔を思い出すことができる。
テレビを見ていて、はしなくもその晩のことを思い出して、あゝみんないなくなって了ったな、という思いであった。
そう言えば、この間の東北地震とつづく津浪で塩屋の岬はどうなったであろうか。彼女の終り頃の「みだれ髪」を思い出す。こうして川の流れのように歳月が流れて行く。