23.5.9

 森田誠吾の「明治人ものがたり」を読んで、面白かった。明治の文豪森鴎外の娘茉莉(マリ)、幸田露伴の娘文(アヤ)の二人を対照しながらの小品でたしかな文明評論である。

 中味は読んで戴きたいので省略するが、文豪の娘として父に愛されて育った二人がそれぞれのルートを辿って生長して行き、又それぞれが作家として育って行く過程はなかなか面白い。

 本題からはそれるが、つけ加えたいのは、鴎外が口述の遺言で「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲す」とし、「墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可カラズ」としたのは、「森林太郎は、腹を立てていたのではないか。」「実は、総監閣下というよりも、あるいは図書頭殿というよりも、学者気取りの文人先生、とひそかに目されていた気味がある。」し、また、他方「この国の文壇の空気には、林太郎の文業を、軍医殿の筆の遊(すさ)びとする傾きがあって、書くことは、よく書くものよ、などという蔭口もあった。」という状況の中にあって、これでは「志に生きた軍人でも文人でもない。」と言われているようなもので、命の果の寂寥感から、そうした遺言があったのではないか、と森田氏が書いていることである。