23.4.20

 明智光秀の本能寺の変は、実は秀吉に踊らされてのこと、秀吉は光秀に信長を殺させて自分が天下を取るつもりだったとか、「淀君の一生とは、豊臣家を滅ぼすための復讐の一生であったと私個人は考えております。織田家を滅ぼし、浅井家を滅ぼし、柴田家を滅ぼした禿鼠のような男に、体を与えたけれど、淀君はその一生を仕返しのための戦いだと考えていたのではないでしょうか。」という一文はショッキングですらある。

 秀吉の朝鮮征伐の歳の小西行長を団長とする第一軍の構成は、すべて切支丹大名でした。これからは私の個人的推測ですが、秀吉は一向一揆などを通じて宗教集団の怖さを身に染みて知っていましたから、配下の切支丹大名たちの結束を何よりも恐れて、国外へ追い払おうとしたのではないか、と考えるのです。との思いがけないが、そうかもしれぬと思わせる記述。

 以上は、最近読んだ遠藤周作氏の「戦国夜話」の一節であって、今まで思ったこともない、歴史の見方である。

 遠藤周作氏は、私の一高同期生遠藤正介氏の実弟で、会った時に賢兄愚弟の例と笑っていたが、この間読んだ「人生には何ひとつ無駄なものはない」にしても、クリスチャンの彼の一言一句に深く考えさせられるところがあり、正直いって見直しているので、これから、もっと彼のものを読んでみなければと思っている。