23.4.3
この度の大地震、津浪で日本の塩生産工場の1つが潰滅的な打撃を受け、再起には100億円もかかるのではないか、と言われている。
塩は人間の生活にとってなくてはならない物資である。
私は、戦争中、中支の軍司令部に於て輸送を担当し、とくに塩の輸送について苦労をしたことをよく覚えている。中支は塩がとれない。北支の青島塩か山西の岩塩を中支に運ばなければならなかったが、揚子江の水運も奥漢線の鉄路も在支米軍の銃爆撃のために途絶することが多く、その輸送が最大の悩みとなっていた。ついには塩の価格は砂糖よりも高くなって、いかに塩が生きるためになくてはならぬものであることを知らされた。
昭和20年の初頭、塩の北支からの輸送促進のために第四野鉄の司令部へ出張し、強請をしたことを思い出している。
この災害で生活塩の不足が懸念されるようになり、一部を輸入塩にふりかえることも必要かと思って、今調整中であるが、塩の国内生産を確保するように、具体策を早急に決めなければならない、と思っている。ちなみに、私は塩工業会の会長をしている。