23・4・2

 東関東大震災はまことに予想を越える被害を齎した。又、とくに原発がかような被害を蒙るとはよもや予想をしていなかった、と言えよう。

 被害跡地の整理も遅々として進まないようであるが、既に復興の議論が立ち上がっている。まことに結構なことであり、国としても最大限の応援をしなければなるまい。地震や津波災害に備えて保険に入っておけばよかったなどいう議論はわかっても、とても通じないような低い加入率である。

 堤防に関して言えば、三陸海岸は過去何度か津波災害を受け、とくに昭和35年のチリ津波の後は、巨費を投じて防潮堤の建設が行われたが、今回はその当時の想定を遙かに上回る、ところによっては30メートルを超え、40メートルに近いという高さの津波が押し寄せて来たという。

 こうなっては、まさか40メートルもの、いわば万里の長城のようなものを日本中の、わけて津波が今後も予想される東日本の海岸に張り回らすことは当底できない相談である。

 では、被害を防ぐにはどうするか。まことに残念ながら、生活の本拠を故地から安全なところへ移す、集団移転、町ぐるみ移転しか考えられないではないか。

 たとえば、三陸は魚の漁から離れるわけにはいかぬ、それが先祖からの仕事である。漁には船がいる。船を岡に繋ぐわけには参らぬ。漁港は移せない。津波の予報で、船を沖合の安全なところにもって行くしかない。漁師は日々船に通えるように、住家は高いところに移し、その間の交通はバスか何かでする。という形がいいのではないか、と思っている。三陸は海に山が迫っているところが多い。この方法が、必要だと思う。

 もちろん防潮堤が不要だと言っているわけではない。それも改修が必要である。しかしその建設にとんでもない巨費を投ずるよりも、移転によって、より安全で、コストのかからない方法が考えられるのではないか、という提案なのである。

 災害復旧は原形復旧を旨とするという考え方を改めなければならないことは、先年、長崎普賢岳の噴火による土石流の被害の時にも、議論されたが、実らなかったのは残念である。