23・3・25

 災害は忘れた頃にやってくる。災害は繰り返す。と言われた通りになった。天の魔力と言おうか、本当にすさまじいものである。

 ついては、とくに電力の供給不足のために東電は地域的に停電計画を日々きめているようであるが、昭和48年いわゆるオイルショックの際にいち早く各産業別に需要抑制を決めたことを参考に申し述べたい。

 当時、大蔵、通産、経企の三省庁事務次官が合議して各産業を五分類に分別し、それぞれ20%、15%、10%、5%、0%の消費抑制を決めて実行を要請したのである。電力だけではなくガス、オイルについても同様であった。

 ネオンも10キロワット以上ものは消して貰うとし、銀座のネオンの九割以上が消されて、街が暗くなったと言われた。

 製鉄はじめ大口のオイル消費部門もこれを機会に徹底的なオイルの消費節減のための生産方法の転換なども実施した結果オイルの全体としての消費量を大幅に節減することができた。

 まだ、困乱状態で、オイルショックの場合とは大いに状態が異なっているが、それにしても家庭中心の停電方式よりも産業界全般にわたる消費規制を早く決定すべきだと思うが如何。