23・2・26

 戦後生まれが多くなった今の世の中では二・二六事件を知らない人も多いと思うが、戦後特記すべき出来事であった。

 北一輝ら国家主義者の影響を受けた陸軍部内の皇道派の青年将校は武力による国家革新を企図し、昭和11226日早曉千四百余人の軍隊を動員して内大臣斉藤實、蔵相高橋是清、陸軍教育総監渡邊錠太郎らを殺し、待従長鈴木貫太郎に重傷を負わせ、さらに、首相官邸、国会、陸軍省などを占領したが、陸軍当局は戒厳令下蜂起部隊を反乱軍ときめつけ、遂にこれを鎮圧した。

 中村戒厳令司令官の「下士官兵に告ぐ」の布告は有名となったが、中学四年であった私は、当日早朝、近所の魚屋が340センチも積もった雪を踏んで私の家へ飛んできた興奮も抑えがたく、大へんだ、総理大臣以下みんな殺された、と叫んで帰ったのをよく覚えている。

 確か、赤坂見付の山王ホテルに反乱軍の本部が置かれていたが、このホテルも今はない。岡田首相は甥が犠牲となって辛くも脱出したと聞いた。陸軍部内でも皇道派の将校達が真崎大将を動かしたという噂もあったが、実態はどうだったのだろうか。

 翌昭和1277日には蘆溝橋事件が起き、日華事変に突入して行くのであった。

 いずれにしても、この事件は昭和7年、犬養首相が陸海軍の青年士官などによって殺された五・一五事件とともに政治に対する軍部の圧力を強めたことになり、軈て太平洋戦争への突入となって行くのであった。生命がかかっては人間、やはり弱いということが証明されたわけで、軍部の暴走を止めることにはならなかったようだ。

 なを、この日ヴェクトル・ユーゴ―(詩人・1802年)、与謝野鉄幹(歌人・1873年)が生まれ、間宮林蔵(探検家・1845年)、横山大観(画家・1958年)が亡くなっている。