この問題を採り上げようか、どうか、幾度か迷ったが、これ程新聞の社会面を賑わしている問題について一言も触れないのはどうかと思って、ペンを執ることにした。

 大相撲文化論が取沙汰されている。純粋のスポーツか、伝統あるショウか、などなど。

 これからは、言うまでもなく素人の意見である。

 ところで、角力にこれまでに八百長が全くなかった、と言った親方もいるが、普通の人は八百長と呼ぶか、どうかは別として、ある程度の話し合いやら頼みごと、頼まれごとはなかったとは思っていないのではないか。かつて、野球やサッカー、或いは競馬、競輪などについても八百長が問題になったことがある。ああ言う集団的な競技においては、なかなか八百長をするのも難しいが、1対1の角力のような競技においては、2人の話合い、又は、1人の意思でことが八百長が成立し易いということは言える。

 話し合わなくても、力士の一方が相手に同情して負けてやる、いわゆる片八百長は、そのようなことをしたことないという谷風ですら、相手の力士が病気の親を抱えて苦労していると聞いて1度だけやったというが、それは美談として遺っている。

 八百長をやれば、良くみれば何となくわかるものらしい、それでは興覚めとなるから、やるならせめてわからないようにやって貰いたいと思う。

 プロレスはショーであるから、ああいう格闘ができるのであって、あんな乱暴なことを本気でやったら、それこそ生命がけとなるのだろうから、そこは観る人もわかって面白がっているのではなかろうか。

 角力はプロレスとは違う、と思っている人を味気なくさせないようにうまくやって欲しいと言ったら、何を言うか、と叱られるだろうか。