岐阜県恵那市の旧明智町は大正村となっている。明智光秀出生の地であるが、大正時代の建物が多く、明治村や昭和村とは違い、在来の街全体を保存し、観光の名所として子々孫々に傳えて行くことを企図している。その初代村長は高峰三枝子さんであって、彼女の没後七年間の空白はあったが、私の家内司葉子が村民の推薦で村長に推され、正に大正百年に当る今年に到っている。

 葉子の主演した「青い山脈」のロケが御当地で行われたという御縁によるものであった。

 これと決めて取りかかったら何事もおろそかにしない葉子にとって、大正村の村長は元来馴染みのうすい仕事ではあったが、引き受けて以来百年に向けて十数年の長きにわたり、一生懸命に取り組んでいるので、私も村の名誉顧問として、それなりに協力をしている。

 2011年・平成23年の今年は、1912年・大正元年から丁度百年目に当る。そこで、大正百年を記念してお祝いの行事を催すことになったのである。

 明治百年に当る昭和42年・1967年は大変賑々しい官民挙げての数々の記念行事が行われたが、大正百年記念ついては、どうも今一つも、二つ盛り上らないのである。

 言うまでもなく大正の年号は僅か15年で、明治の45年、昭和の63年の間に挟まれて、時間的に見て存在感が乏しい嫌いがある、せいもある。しかし、大正時代はいろいろな意味において実りの多い、かけがえのない時代であった。「大正デモクラシー」と呼ばれる民主主義が台頭し、民衆と女性の地位が向上し、新しい文芸、絵画、音楽、演劇などの芸術が広まり、大衆文化が花開き、大正ロマンを生んだ。

 その大正時代の姿を色濃く残している明智町全体を大正村と名付けているのである。明治村や昭和村と異なり、在り姿のまゝを後世に遺そうというところが大きな特色となっている。なお、大正百年を迎えて、恵那市(明智町など五町村が合併して誕生した)に大正百年事業実行委員会が設けられて、記念行事を行う準備が進められている。しかし、も一つ大正時代の数々の資料を保管、展示する記念館の開設維持などの要する資金に充てるため大正百年記念基金の募集を始めることにしているので、大正に関係のある諸企業など有志の御協力をお願いしたいと思っている。

             23・2・16