今年19日付朝日新聞の社説の見出しである。

 

 「人類の進歩と調和」をテーマに1970年開かれた大阪万博は6421万人の参観者を集めた。岡本太郎の設計した太陽の塔近くのEXPO70パビリオンでは、電気自動車、動く歩道、ワイヤレスホンなど画期的な製品を紹介し、大変な熱気を呼んだ。それも今は昔、開館翌年の78年には入場者60万人を記録したが、遊園地エキスポランドも今はなく、入場者も3分の1ほどに減って了った。公園に近い千里ニュータウンも日本の大規模開発のさきがけと言われたが、高度成長を支えたサラリーマンが入居した街も、高齢化の進みにより人口もピーク時から3割も減り、今や3人に1人近くが年寄で、大阪や関西の先頭を走った千里も今や地域の苦境を映す鏡でもあるという。

 大阪万博の跡地の買収、整地等、そもそもの事業スタートの時、近畿財務局長として担当し、大成功のあと跡地を記念公園として整備する時、又理財局長として関与した私は、万博公園がうまく運営されるように強い関心を持っていた。

 万博のきまりは期間が終ったら原別としてあらゆる施設を廃棄することになっているという中で特に大事なパビリオン、日本庭園とともにエキスポランドも遺すことを主張し、実現した。それは、確か35億円もかけて造った設備をムザムザ廃棄するのはまことに勿体ないと思ったこともあるが、記念公園に入場者を確保するにはエキスポランドを残して子供を集めることが1番有効だと思ったからである。子供が来たいと言うえば親も来る、それは1番役に立つと考えたからであった。その目的はかなり達したと思っているが、思いがけない事故で死亡者を出したこともあって、経営も破綻した。それも、今の万博公園のさびれ方に影響していると思うと、何か複雑な気持にならざるをえない。しかし、朝日の社説が千里ブランドの見直しを始めとして、関西の持てる資産を生かし切ってアジアの将来のモデルとなるような都市の建設をこの万博公園跡地を1つの中心として描いていることは、大へん心強いことである。是非その夢が現実のものとなるように期待いたしたい。