年をとってくると食べ物の好みも変わってくるというが、わが身をふりかえって本当にそう思う。と言って変わらないものもある。
私は、この頃よく言われる肉食系のものより草食系の物が好きだが、魚でもマグロなどより、アジ、サバ、イワシ、サヨリ、キス、コハダ、サンマといったような青魚か、タイラ貝、ホタテ貝、コバシラ(あおやぎ)などを好んで食べる。寿司屋でもトロ、ウニ、イクラなどはだいたい食べない。だから、どちらかと言えば安上がりである。
それはそうとして、ここでは菓子について書きたい。ここでも、どちらかと言うと、洋菓子より和菓子が好みである。だいたい子供の頃から大へんな甘党で、学生の頃は喫茶店で飲むコーヒーに角砂糖(今時のコマイのではない)を5ヶも6ヶも入れて、カップの底に融け切れず溜まっていた砂糖をスプーンで掬って食べていたくらいであった。ショートケーキなども2、3ヶ続けて食べたりしていた。
糖尿病になるぞ、と医者におどかされたせいもあったかも知れないが、この頃は砂糖のかたまりのような洋菓子は敬遠して、もっぱら和菓子である。
もっとも、羊かんなど緑茶には合うと思うし、おいしいと思って食べるが、和菓子のいいのは、おおむね形や色が美しく、芸術品みたいなのが少なくないからである。
お茶席は苦手だが、お茶菓子にはいいものがあって、楽しみである。
昔からお茶の盛んなところは、例えば、京都、金沢、松江などには、いいお茶菓子が作られている。
手元に置いて時々眺めている林順信著の「江戸東京グルメ歳時記」(雄山閣)によれば、和菓子の大切な素材は砂糖と餡とである、という。その文章を御紹介したいが長くなり過ぎるので、砂糖のことだけちょっと触れておく。
一口に砂糖といっても、和菓子に使われる砂糖は、等級から言えば、和三盆、唐三盆という三盆糖、その次が雪白、天光などがある。しかし、その砂糖もそのまま餡に混ぜるというやり方ではなく、砂糖そのものをさらに手間をかけて精製する技術も和菓子司ともなると会得しておかなければならない、という。
この本には、もっと面白いことが書いてあるが、関心のある方は、その本を見て下さい。
江戸時代は、砂糖は奢侈品とされていて、なかなか規制があったらしい。又、明治時代に入ってからも、例えば、明治18年5月8日の布告「菓子税則」では、①菓子製造人②菓子卸売人、③菓子小売人の三種について、何れも府県に届出を行って鑑札を受けねばならず、それぞれ鑑札料を収めるべきとしてあったという。