戦後ロシアに3年抑留生活を過したが、あそこは春と秋がないといっていいくらいの土地で、冬は夜の明けるのが午前11時、陽の沈むのが午後3時、夏はその逆で午前3時には夜があけて、午後11時まで明るかった。凍ったボルガの川水を4発の爆撃機が爆弾投下で砕く。川水が流れるようにするためであった。

 その前は、中支は武漢地区に駐屯していた。冬も外套は要らないくらい、夏は暑くて40度を越す日もある。それに何たる湿度。街を歩くと指の先から汗がしたたり落ちる。

 そんなところに住んで帰った日本は本当に四季の替り目がきちんとあって、草花もその折々に咲く美しさ。それだけでも日本に住む楽しさがある。

 それに食べ物もおいしい。魚も肉も野菜も果物もおいしい。この頃日本人は外国に留学したがらないと聞く。何となくわかる気がする。日本は住み易いのである。

 しかし、それだけでいいのだろうか。せめて若いうちは外国を歩き、外国で学び、外国で暮らして貰いたい。日本の有難味がわかるだけでも結構なことだと思うし、何よりも外国とせり合って負けない体力、知力をつけ、外国語もしゃべれるようになってほしい。少子化現象の続く限り、日本の生き残る道は一人一人が強くなるしかないのではないか。


22・10・25