10月19日の産経新聞・朝の見出しのコラムは興味深く読んだ。

 前段を省略すると、西独は55年に国防主権を回復して北大西洋条約機構(NATO)に加盟する際、核兵器の開発断念を西側諸国と約したが、保有の断念ではなかった。やがて、実際58年にはNATOの共同防衛義務を果すためとして、西独軍の核武装決議が議会で成立していたのである。

 1986年2月、日本と西独との間で核開発をめぐり開かれた外交事務レベル秘密会議で日本側が核の開発・製造で日本と共同歩調をとる意思の有無を西独側に打診した際に、西独側が同調を断ったが、それは日独協力でつくることの拒否に過ぎなかったので、西独の方針は、核はつくらないが、持ちたい、それがダメなら同盟国と共同保有したい、何より米国に核を持ち込ませたいということであった、という。

 従って、ただ単に日本のみが核廃止を求めながら、核を求めて来たのは矛盾ではないか、という短絡した状況判断をすべきではない、と佐瀬昌盛氏は述べている。


22・10・19