海外とは縁の薄い仕事を続けていたが、中国に2年、ソ連に3年の生活を除いても60年の間には、そこそこ50ヵ国は歩いた。そこで、空港に出入りした。いろいろな思い出もある。
一般的に言えることは、どこの国の空港も総じて大きくなって来たことである。2キロも歩かされたことがある。空港内を走っているバギーみたいな車に乗せて貰ったこともあるが、重そうな荷物を曳いて歩いている人の間をスイスイと駆る車に乗っているといささかいい気持ちであった。
そういう車に滅多にお目にかかれない。この間、オスローから成田の帰りにコペンハーゲンの空港に乗り継ぎで入ったが、広いこと広いこと。空港というより大きなデパート、ブランド品のショッピング街である。
コペンハーゲン空港は世界各方面からのフライトが集中している。地の利を得ているからであろうが、それに対応する施設その他の整備も進んでいるせいであろう。
3時間近い待ち時間があった。日本の新聞も読んだ。結婚50周年に旅行しているという夫婦が話しかけて来た。
数日間ノルウェーの漁業関係者の人と話していて、直接利害の対立はないものの、いくつかシステムの違いを知り、又、考え方の差を感じた。このようなことだけで、国際問題を論じる積もりはないが、やはり、お互い話し合って、本当に何を考えているのか、その考え方のどこが違うのか、という点だけでもお互いに把握し合うことが相互理解から協調への出発点ではないか、と思った。
論点を飛躍させてはならないが、戦争を体験して来た年代の私達にとって、何と言っても戦争は避けるべきものであり、そのためには何よりもまず相互の接触が大切なことを痛感せざるをえない。
22・9・15