昭和20年8月15日から丁度65年目にあたる。戦争を知らない人々が大部分になって来ただけに、われわれ戦争を体験した人間は、この間に戦争で亡くなった人達を心から痛む気持ちで一杯なのである。

 私は、ソ連に抑留3年のおまけまでついたが、中国戦線で命を落とすこともなく帰国し、91歳の今年まで生命を保っている。その点は運がよく、恵まれていたなと思う。

 それにしても何で人間同士で戦わなければならないのだろうか、と屢々考えている。子々孫々に到るまで戦争の悲劇を味わせたくない。

 私が、平成2年、勤続25年をもって衆議院本会議で表彰を受けた時に、代表で謝辞を呈したが、その中で、「二度と戦争を繰り返させてはならない。しかし、どうしても戦わなければならなくなった時は、決して負けてはならない」と言った途端、自由党席からは一斉に拍手、野党席からはブーイングであった。負けてはならない、と言ったことに何故ブーイングが出るのか。憤りを感じた。もっとも、かつて社会党の書記長が非武装中立を唱え、外国が攻めて来たら手を挙げればいい、降伏した人を殺すようなことはないから、と言ったことをよく思い出す。私とのテレビ対談の時であった。私は呆れた。彼は8月15日の終戦の後にでも、満州や北朝鮮などに攻め込んで来たソ連軍が無抵抗の民間の人々に対して、いかに残酷無比な行動に出たか、を全然耳にしていなかったのであろうか。しかも、ポツダム宣言に違反して60万人の将兵を酷寒シベリアの地に運んで、その1割も死なせるような目に遭わせたのではないか。

 私が、本会議場で述べた言葉は、私の本当の叫びである。8月15日にして、再び、このことを誓いたい。


                                   22・8・15