民主党は予算要求についてシーリングの制度を復活させようとしているという。新聞記事である。

 私は、日本におけるシーリングの制度に当初から深くかかわって来た者として反対の意見を明らかにしておきたい。

 何故か。というと、シーリングの制度が各省庁の予算を一律に維持する制度、いわば所領安堵のような形になってしまって、本当にメリハリのある、重点的な予算編成を妨げる結果になってしまったからである。

 米国に視察に行った私などもかかわって主計局がシーリングの制度を初めて取り入れたのは昭和36年であった。米国とは異なり、各省庁ごとに予算要求の限度額を設定するのではなく、一律に前年度予算額に対し5割増の範囲内で要求するという形でスタートした。それまでは、前年度予算額の倍以上も要求して来る省庁もあったから、これはこれで一応の役割りは果した。

 その後、この5割増を毎年のように引き下げ、前年度同額から、さらにマイナス何%というシーリングにまでなった。

 こうなると、各省庁内では各局が、各局内では各課がその範囲までは当然貰えるような錯覚が生じ、そこでいわば所領安堵のような、逆の効果を持つようになって、本当に必要なところを思い切って増やすことも削っていいところも削れないような姿になった。

 そこで、シーリングの作用もこれまでということになって、平成21年度の概算要求から、シーリングの制度は廃止となったのである。

 各省庁は自由に要求出来るようになって、要求にメリハリがつくようになり、又、主計局も思い切って査定ができるようになった、と一応なっているが、実情は一般経費については、いちように厳しい査定額となっている。

 今、シーリング制度を復活しても、大した結果は期待できないばかりではなく、繰返して言うが、重点的な予算編成はできないことになる懸念が大きい。

 今の役所は、そんなに非常識な要求を出してこないから、思った通り要求させて、それを主計局が査定で考えたらいい、と思っているが、如何か。