昭和48年オイルショックの日本経済に与えた打撃は計りしれないものに思われた。年3億キロリットルの原油の大部分を外国、とくに中東に依存している日本は、徹底的な石油の消費削減をしなければならなかった。当時大蔵事務次官をしていた私は、通商産業省、経済企画庁の事務次官と3者協議の上、全産業を5段階に分類し、それぞれ20、15、10、5、0の節約率を設けて、それを要請した。ネオンサインも10キロワット以上は全部消すことにした。銀座のネオンの9割が消えた。その結果、原油の消費量は急減し、年間2億2千万キロリットルになった。この時は、製鉄業などが驚異的な燃料節減方策を推進したという。ともあれ、それまで長いことGNP1%の成長は石油消費2%の増加を招くと言われていた日本経済の構造は大きく転換した。石油ショックによるこの変革はその後の日本の経済成長に大きく寄与したと見られ、逆の神風と言いたいくらいであった。
石油代替エネルギー源の発掘・奨励に官民あげて取り組むようになり、原子力、水力はもとより太陽光、地熱、潮流などあらゆる方面でのエネルギー利用が進められた。
私達国会議員が数名で地熱発電の推進議員連盟を立ち上げたのもその頃であった。火山国日本に無盡蔵にあると思われる地熱の利用を放っておく手はないと思ったからである。岩手県の繫温泉の地熱発電所へ皆で視察に出かけた。
そこで知ったのは、環境問題が地熱発電の拡大を阻んでいることであった。地熱発電の可能なところは火山地帯、ということに温泉地帯。地熱発電所の建設が景況を破壊する、熱湯の汲み上げが水体系を変化させる、その熱湯にかなり重金属が含まれているなど、などで環境庁が発電紙量を規制していることであった。
景観については、発電所の建設形態を検討する余地もあり、汲み上げた湯は地中に還流する方法もあり、又、発電済みの湯の熱を交換によって温水をつくり、温室に利用する手もあるではないか、というような議論をやった。
今は、太陽光、風力の利用が流行となっているが、地熱の利用も改めて検討してもいいのではないか、と考えているが、如何。
それとも1つ重要なことは、これらの石油代替の発電方法が果して最終的に省エネになっているか、どうか、計数的に充分検討されているか、どうかの疑問である。
太陽光にしても、風力にしても相当な施設を作らなければならない。それを製作し、維持するのに必要なエネルギーはどれくらいかを、徹底的に計算し、本当に省エネになっているのかどうか調査する必要があるということである。