河野自民党野党総裁のもとで総務局長として衆議院の小選挙区制導入にたずさわったときのことをよく思い出す。平成8年のことである。

 当時、中選挙区から小選挙区への変更は、1つの大きな時の流れのようになって小選挙区推進派は改革派、反対派は保守派と言われ、自民党内の若手は小選挙区を推進するものが圧倒的に多く、自民党を朝に夕に離党する者が続出する形勢であった。公職選挙法の改正案は衆議院で可決、参議院で否決、両院協議会に持ち込まれることになった。

 私は、河野総裁など党幹部と対策を練り、最後に河野総裁の決断のもと改正案を修正して成立に持ち込んだのである。

 その時は、小選挙区制になれば、与野党の当選者に大きな変動が起きることは、他国の例からも明らかであるとは予測していたものの、その後の実績ほどの波が必ずしも起きるとは思わなかった。

 それがどうだろう、この実績。


                                    22・7・4