私のかつての選挙区の隣り島根県の話である。今から30年以上も前、知人山野君が知事選に立候補した。最初の時は落選したが、2回目に臨んだ時である。彼が地元へ行く時に使う米子空港は私も使うので、よく一緒になることがあった。

 今度はどうかね、と尋ねると、相沢君、今度は絶対負けやしない、大丈夫という元気のいい返事であった。

 大丈夫とまで言われれば、何も余計なことをすることはないと思って、ただ健闘を祈るばかりであった。

 ところが、選挙戦の蓋を開けたら、僅か109票の差で又敗れた。気の毒であった。

 私は山野君を慰労するため一夕を設けた。お互いに酒は嫌いでない。杯を重ねての懇談となったが、彼はしきりと「相沢君、本当に惜しいことをした。あと55票とれば、勝敗は逆転して、今頃、私が知事になっていたのだ」。

 正にその通りである。私の家内の親戚も少なからず島根県内にいる。有力者も多い。多分、彼をやってくれたとは思うが、その気になって声をかけていたら100票やそこらではないと思う。

 だから、大丈夫とか、何とか言わなければよかったのだ。選挙とは、そういうものだ。


                                   

                                   22・6・28