五木寛之氏の作品を愛読している1人だが、最近「人生案内」(角川文庫)を読んだ。小川洋子さんのコメントによれば「まさに悩みを抱えた1人1人の人間に対して発せられたメッセージではないでしょうか」。

 いろいろ感じるところは多かったが、とくに次の2節に共鳴するところがあった。少々長くなるが、引き写してみる。

「そもそもの始まりは、戦争が終わって、ぼく自身が北朝鮮の平壌という街で敗戦を迎え、その1ヵ月後にソ連軍が進駐してきたときに始まります。」(中略)

「ソ連軍の兵士というのは、なんと野蛮な、なんと無教養な、なんと残酷な連中だろう、という恐れ、そして憎しみを心の底で抱くわけですね。」(中略)

「ある晩、収容されている難民キャンプの門口に立って外を眺めていますと、遠くの方から、自分たちの兵営に帰っていくソ連軍の兵士たちの合唱が聞こえてきたんです。その歌がじつにみごとな―三部合唱か四部合唱か忘れましたけども、素晴らしいコーラスになっていて、その歌をうたいながら彼らが目の前を通りすぎ、そして夕闇のなかにすうっと消えてゆく。」(中略)

「その頃のぼくのなんともいえない謎は、ロシア人っていったい何だろう、あんな残酷で非人道的なことを平気でやりながら、彼らがうたうあの歌はいったい何なのか。どうして彼らにあんな美しい歌がうたえるのか。音楽というものはかならずしも、美しい魂や素晴らしい人間性だけに宿るというものではないのかもしれない、という不思議な疑問だったんですね。」

 「ところが、歴史を振り返ってみれば、文化を生み出したのは、富の偏在と権力の集中です。法隆寺から桂離宮からピラミッドから、すべてそうじゃありませんか。農奴制のもとに苦しんできた19世紀のロシアにはあれだけの文学が生まれたが、社会主義経済のもとで年金が保証されたソビエト70年の歴史のなかからほとんど文学らしい文学が出てこなかったというのは、そこのところがよく現れています。そう考えると文化というものは根源的に罪の深いものだと思わざるをえない。人々の涙と血みたいなものを養分にして育ってくる赤い花だと思うところがあるから、無条件で文化というものをいいものとは思えないところがあるわけで。」

 私は、戦後ソ連に3年間抑留されていて、正に五木氏と同じ感想を持った。日本の兵士が軍歌を唱って二部合唱や三部合唱などになることはない。ロシア兵の軍歌は、気のせいか、何となく哀愁を帯びていて、そして高音は時に空に突き抜けるように高く、低音は地響きにも似た重々しさであった。五木氏の疑問を私も強く感じた。

 第2点については、ソ連に抑留される前に駐屯していた中国でも感じた。例えば長城、明十三陵、、頤和園、天壇などを眺め、人民の膏血を絞り、国幣を傾けて造ったと説明書きでは批判をしている。これらの壮大な建造物も、もし、そういうことがなかったら存在せず、又、批判をしている建造物を自慢げに他国の人に見せようとすること自体が何等矛盾を感じないのだろうか、と思わざるを得なかった。

 エジプトのピラミッド、スフィンクス、アテネのパルテノンなどを見ても同じような感想を懐いたが、間違っているだろうか。



                                   22・6・19