角力にそれ程関心が深いわけではないが、戦前のラジオ時代から取組みは見ていた(尤もラジオ時代は聞いていた)。私の親しい家の作男をしていたのが入門、武蔵山となり横綱まで上りつめたりした時代である。

 それが、今は、横綱初めおよそ強い力士は外国人といった観がある。差別意識をあおるつもりはないし、ウィンブルドンでイギリスの選手が活躍しているかよ、と言われれば、その通りであろうが、一言にして言えば、何としても情けないな、のグチである。角力部屋のいかにも旧態依然たるように見える在り方などが、若い人を魅きつけないのかもしれないが。

 戦前、角力制度の改革を目差して角士の一部が分かれて別の組織を作り、総当り制の実施など、ある意味で革新的な興行を始めたが、結局長続きはしなかった。

 それにしても、国技と言われ続けたいなら若い人にもっと魅力のある制度への検討が必要なのではないか。このままではジリ貧になる懼れがある。


                                   22・5・21