1月の半頃北京へ来て、今回は今年二回目である。来る度に思うのは北京の変り様である。今回も私が学長をしている東京福祉大学への中国人留学生の件である。当地の学校と交流を深めることも併せて行う方向で意見の一致を見た。その用務の間に久しぶりに天壇を訪ねた。

 いつ眺めてもまことに壮大で美しい建物であって、気持ちまでが晴れるようであった。

 いつもはどちらかというとひっそりしていたが、今日は日旺とあってか、バスが何十台も停まっていたし、あちこち旗を立てたガイドに多勢の人がついて歩いていた。

 この頃思うのは、どこの国へ行ってもとくに女性の服装が似てきたことである。例えばあの洗いざらしのような、ところどころ破れたジーパンなどは昔はなかった。昔の観念で言えば、むしろ汚い格好が少しも羞しくないどころか、堂々とはやりになっている。

 世界中どこへ行っても似たような服装とは流行であって、私は、テレビの影響が一番大きいのではないか、と思っている。

 他面、各国の、各地方の特色ある民族衣装というものが見られなくなった。そのいい例がわが国であって、和服姿がとくに若い人には普段見られなくなった。

 年輩の女性でも和服を着ているとお茶やお花のお師匠か、花街の人か、と思われるくらい珍しくなった。若い女性が和服姿になるのは、成人式か、卒業式などの場合で、大てい貸衣装で、髪型も似ている。この間も大学の卒業式で式辞を述べたが、女性の半分以上は和服姿ではなかったか、と思う。

 それにしても貸衣装代は安くない。いつか聞いた話では、三回で元をとる計算だと言っていたが、本当だろうか。道理で貸衣装代は高いと思った。

 もっとも、同じ花嫁姿を三回も四回もするわけではないのだから、昔のようにその衣裳をとっておいて、嫁に着せたり、仕立直して着たりするのならば別だが、貸衣装が少々高くても合理的なのかも知れない。

 そう言えば、私は、天皇即位の式に参列するため燕尾服にシルクハットをこしらえたが、その後、叙勲の式で着た切りになっている。そういうものかなァと思ってみたりしている。

 話を元に戻すが、久しぶりに見る天壇は流石立派なもので、気宇まことに壮大。これ程のものは、わが大和の国ではなかなか見当たらないと思う。

 昭和十九年春、経理将校として北京の北支方面軍司令部に転任した時、天壇に行き、落ちていた屋根瓦の余りに美しいルリ色に魅かれて、半分のカケラを拾って来たが、それから漢口の軍司令部に転任、用務で北京に出張した際再び天壇を訪れ、そこで又瓦のカケラを拾って来て、先のものと合わせたらピッタリ一枚の瓦となったという、まことに奇蹟的な出来ごとがあった。

 その瓦は、当時北京に在住していた亡妻に託し、必ず持って帰って欲しいと頼んだが、重い荷物とて引揚げに際して置いて来たとのことであった。

 この度は、瓦一枚落ちていない天壇であったが、何度思っても不思議な偶然の出来ごとだったと思う。

 それにしても、天壇は美しく壮大である。三度も訪れたことは幸せだと思っている。

 北京には先回も今回も仕事で来たので、観光の時間は余りなかったが、久しぶりに王府井大街を歩き、東安市場を覗いたが、以前とは全くの様変り、他の国と違うのは甘栗を売っているくらいであった。甘栗の大きい一袋を買ったが、日本の値段の十分の一ぐらいであった。

 昔から食は中国と言うが、確かに種類は豊富で、おいしく、しかも安い。何といっても食物は大事であるから、この点中国の人は羨しい。もっとも毎日中華の御馳走を食べていては飽きると思うし、又、一般の人が毎日こんな御馳走を食べているわけではあるまい。

 それにしても欧米で見かける物凄い肥満型の人を中国では見かけないのは、やはり食のせいであろうか。