この間新聞を読んでいたら「シーリング廃止が混乱招く」という題名の記事を見た(一月十六日朝日・朝)。

 一応ごもっともなことが述べられているが、私は、前から廃止を主張していた。というのは、かつて大蔵省主計局が概算要求に当ってシーリング制度を導入したのは昭和三十六年であった。

 当時は、各省、事項によっては前年度予算の何倍も要求してくるところがあったし、米国のシーリング制度を採り入れたらどうか、ということになった。

 昭和三十年、私は主計局総務課併任の主計官をしていたが、各国の予算編成制度の調査を命じられた。米国ではとくにシーリング制度について調査したところ、大統領府の予算局長が毎会計年度各省から要求書の提出を求めるに際して、一つはシーリングでこれこれの金額以下で、一つはターゲット・フィギュアーズでおおむねこの金額をメドとするようにと回章を出すことになっていた。シーリングを設けるのは大体事務費系統の予算であり、ターゲット・フィギュアーズは軍事費のような事業費系統の予算であった。しかし、各省の全体額ではなく、大きな事項について、それぞれ設けられていた。

 この制度で各省に示された金額で不服のあるところは大統領に修正要求を出せることになっているが、かつて出したところが、後でこっぴどく仕返しをされたので、爾今、表向き文句を言うところはなくなったという説明も聞いた。

 わが国でこの制度を導入しようということになったものの、米国のように各事項ごとにシーリングとターゲット・フィギュアーズ(以下シーリングと略す)を示すためには、翌年度の要求について、いろいろデータを取りよせ、又、各省間のバランスなども考えて一応査定をしなければならないし、さて、八月末に正式の概算要求書が出されてくると本格的な査定をする、いわば査定が二度手間になるので、この方式は採らず、手初めに結局各省一律、概算要求前年度の限度額に対して額を前年度に対し五割増の範囲内とすることに決定したのである。

 その後、各省がこの制度に馴れて来たのを見計らって、シーリングの額を対前年度の三割増、二五%増というように遂次引き下げ、前年度並みから遂に前年度に対し五%以下というように下げて来たのである。

 シーリング制度のいいところは、要求額の限度が定められているから、とくに増やしたい事項があれば、どこか他のところを削らなければならないので、各省が自分の枠内である限度の調整が行うこと、各省のシーリングの金額を合計すれば、おおむね歳出の総額の見当がつくので、その財源対策もし易いことなどが挙げられる。が、逆によくないところは、本当は重点を置いて予算を増やしたい省があっても難しいのと、各省の中でも同様にメリハリのついた要求額の調整が困難であることなどである。つまり、前年額が基準となって、大きく増減し難い予算となってしまいがちになるのである。何だか、徳川時代の大名の所領安堵の形となってしまうのである。

 ただ、かつての米国のように各省、各事項ごとにシーリングの額を決められれば、それも一つの方法で、予算を合理的に組む一つの手段になると思うが、前に述べたように、それはなかなか難しいとなれば、あとは、思い切ってシーリングを廃止して、各省にいわば勝手に要求をさせて、あとは、財務大臣がメリハリをつけた査定をすれば良いと、いうことになるのである。

 民主党が今度実施した仕分けなどというやり方も、せんじ詰めれば予算査定そのものと変りはないので、かつて財務省が党の要求を考慮しつつ確信をもって査定したようにすればいいようにも思う。

 いずれにしても、シーリング制度を復活させることは愚であって、賛成できない。



                                   22・1・17