外務省の日米密約調査で核持ち込み密約の根拠を成す文書である討議記録の存在を裏付ける日本側文書が当初のファイルの中から発見されたことが二十日わかった。日本政府の討議記録は承知していないという従来の立場を覆すものだった。
日本は非核三原則をとっているのであって、核兵器の持ち込みについても必要な事前協議の対象に決めている。ただ、米側で公開された文書には米軍機の日本飛来や米海軍艦艇の日本領海の港湾への入港に関し、現行の手続きに影響を与えるものと解釈されないと記されている。米側はこの合意に基づき飛行・通過は持ち込みではないとの立場をとってきた。
今まで、自民党政権は密約そのものが存在しないと主張し、密約を裏付ける日本側の文書の存在を認めていなかった。討議記録のそうしたものや米国の公式文書としてあることが、まったく承知していないと、その存在を否定していた。米側からは、この文書の存在を明らかにされているし、又、日本側で当時この折衝をあたっていた吉野局長も、このような文書の存在を認めていたのである。
それはそうなので、常識で考えても核を積んでいる米国の艦船が日本に入る際に、核を持っていないということはありえないことであって、それが可能ということなるならば、ハワイかどこかに置いてくるか或いは、移動途中でどっかに捨てるしかない。そのことは考えられないことなので、当然、核を積んだ米国の艦船が日本に寄港することはありえることに我々も思っていた。
寄港・通過も持ち込みに当るという国会答弁を繰り返していると、これは米側と意見が食い違い、米側が抗議内容の確認を迫っていたこともわかっているのであって、一九六三年四月にはライシャワー駐日米大使が大平正芳外相と会談し、核持ち込みの解釈を擦り合わせている。大平外相は、この会談で米側解釈を受け入れたとされるが、調査では会談の記録は見つかっていない。外務省職員も同席せずに記録が作られていなかった可能性がある他、破棄された可能性も捨てきれない。
日本政府は、核を搭載している航空機や艦船の寄港・通過も持ち込みに該当するので、従って、その協議が無いということは結局核の持ち込みをしていないということだという答弁を繰り返していた。しかし、日米両国において、このような文書の存在が明らかになったとすれば、もうこの核の寄港・通過は持ち込みに当らないとはっきりさせた方が、日米間の関係も良くなるし、又、それは実際にマッチした解釈であると思うのである。
朝鮮半島有事の際には米軍が基地を自由に使用できる、有事の際沖縄への核の再持ち込みを日本が認める、沖縄返還現状回復補償費を日本が肩代わりするという密約についての調査も行なわれている。