ひとりタンクのように驀進しようとする亀井金融相のやり方は危くて見ていられないところもある。銀行借入れの返済猶予制度など、まだ具体的な構想がもう一つわからないから批評を差し控えるが、マスコミで伝えられる内容では、どうも金融機関側が却って貸し渋りに走るような心配を濃くするのではないか。それでは中小企業にとってはマイナスなので、その辺は遣り方をよく考えて貰いたい。

 ところで、十月二十二日朝の朝日新聞(夕)は、亀井金融相が、竹島公取委員長に「談合」には「良い談合」もあって、日本の生活文化のなかで適正な受発注が行なわれているわけだから、それを考えてくれと発言、委員長は談合に良いも悪いもない、ダメですと答えたと伝えている。

 私は、この亀井氏の説は賛成で、前から私は、そう思い、又、発言をして来た。

 もっとも、談合の良い、悪いという区別は大へんであるが、要は一律に談合は悪であるとして厳に排除する必要はない、ということである。

 談合が何故悪いか、と言えば、競争入札ならば、たとえば、一億円の予定価格に対して談合があると九九〇〇万円という高い価格の流れになるが、假に競争入札に切り換えたら、八〇〇〇万円ぐらい落ちる。その差額が官の損失となる、という理屈である。その落札価格がいわば実際経費を無視したムリな価格でないならば、―というのは往々してその事業をとりたいばかりに飛んでもない低い価格で入札する例も少なくない―いわば、それが妥当な価格であるなら、初めから八千万円に設定して、あとは業者で談合し、受注者をきめたらいいではないか、という考え方である。それならば、官に損害もでないし、業者も落ち着いて順番待ちで粛々と仕事をこなして行けばいい。ということにならないか。

 入札も指名競争では談合をするからダメ、といって、一般競争入札にしたら、それこそ全く実態を無視した価格で入札してくるものがいる。

 これは指名競争であったが、かつて新宮殿の入札に際して間組が一万円で入札し、何が何でも一万円はひどい、間組が新官殿を寄付するようになって宜しくないといって急遽辞退を願うと同時に、政令改正をして最低価格入札者を落札者としない場合もあるという制度を設けた、という昔話を思い出す。その政令は当時、主計局の法規課長であった私が担当したので、よく覚えている。一晩で作ったと思う。

 たしかに、完全一般競争入札にして最低入札価格者を落札者とした場合、極端な場合は一社が独り占めをして、他の数社が完全に干し上ろう、しかもその事業が入札業者の業務の過半を占めているような場合は、落札した一社を除き他は全滅する懼れを生じる場合がある。こんな時でも競争入札を強行しなければならないが、一つ考えさせられる事案である。

 かつて電々公社が線材メーカーについて随意契約に固執していた理由はここにあったと言う。これを全く不当と見るか、どうか、やはり検討を要する問題ではないか。

 ただ、亀井金融相の言うように、良い談合、悪い談合と区分けした場合、どういう基準で仕分けるのか、不明であるし、もし假に談合を認める場合の基準については、さらに検討を要すると思われる。