いささか昔の話である。昭和三十年、というともう半世紀も前のことになるが、私は、初めてアテネを訪ねた。大蔵省の主計官で、欧米の予算編成制度の調査を命じられて、二ヵ月余り出張をしての帰途であった。
東大の法学部に入った年、私は、法律の勉強が少しも面白くなくて、一年間は経済原論を勉強しようと思い立ち、仲間と読書会を持って先ず読むことにしたのが杉村広蔵氏(一ツ橋大学教授)の「経済倫理の基本構造」であった。この著書はイギリスのアルフレッド・マーシャルの学説によっているので、マーシャルの著書を図書館で読み進めていたが、彼の学説の基礎には新カント派の哲学があり、カントの哲学はギリシア哲学に発するというので、源流に遡って勉強を始めようという、いささか無謀なことを決心し、プラトン哲学にとりつかれることになった。
「ソクラテスの弁明・クリトン」、「饗宴」、「国家」、「プロタゴラス」、「テアイテトス」、「ゴルギアス」などの邦訳では飽き足らず、英訳と並べ、やはりギリシア語の原典も大事とばかり、のめり込んで行ったが、法学部一年の試験の結果は七科目受けて優がたった一つ。
これで、愕然とした私は、もうプラトン哲学でもあるまいと決別をし、二年からは法律の本ばかりに精進することにした。
しかし、三つ子の魂百まで、という。どこか郷愁は去り難く、この出張の帰りにどうしてもアテネの丘アクロポリスのパルテノンを見たくなったのである。
八月末、暑いアテネの町には、日本の公使館があったが、藤さんという公使が一人、公使館はビルの一室、彼の他はイギリス人のタイピストが一人だけ。たまたま学校の先輩であった彼は、まだ日も明るいのに、今日はこれで終りと公使館の鍵を締めて、つれて行ってくれた所はマラトンであった。折から海水浴のシーズン。飽くまでも青いエーゲ海をみながらワインを飲み、又、マラソンの距離を車で戻ってアテネのぶどう棚の下で心行くまでワインのボトルを空けた。
ちょっとヤニ臭いようだが、特色のあるワインの味は忘れがたかった。今でも時たまギリシアのワインを飲む機会があるが、いつも青い海とぶどう棚の下の酒場を思い出す。年の経つのは早いものだ。 (21・7・27)
(日本ギリシア友好議員連盟名誉会長)