この頃、車の使えない土日は電車に乗ることもある。乗換駅を間違えたり、失敗しては苦笑しているが、中吊りの広告を読んだり、乗っている人を眺めたり、飽きることはない。
それにしても、昔と違うのは、平気で破れたジーンズをはき、貧乏長屋の女房が着ていたような継ぎはぎだらけのスカートをつけていることなどである。聞けば、わざと破ったり、汚したりするので、そういうものの方が高いそうである。
世の中変ったものであると思うことしきり。戦前、われわれ学生の頃、ことに旧制高校の生徒は弊衣破帽をこれ見よがしに身につけていた。われわれは、お仲間ながら、それを軽蔑し、むしろ目だたない服装を好んだが、標識のように冬のマントは離さなかった。あの高い朴歯の下駄などは値段も高いし、歩き難いと言って、裏に古タイヤを縫いつけたような草履を履いていた。もっとも、それも一種のスタイルかもしれなかった。頭は無論白線帽、それも汚れて灰色じみていた。
時々、流行とは何か、と考えてみることがある。皆がそうするから、自分もそうする、という行動はどこから出てくるのだろうか。周りの人と違う恰好をして、際立ち、注目されたくないので、例えば皆が破れたジーンズをはくなら、自分もそうする、いわば、時代の流れに逆らわないようにすることで安心感を得ると、いったところなのかな、と思ったり。
私のもとの選挙区鳥取二区の中心部市は米子である。人口十四万人の小都市である。この米子で挙げられる結婚式の九割も教会だという。神父、牧師はシーズンともなれば忙しいのに、神主は隙を歎いている。
街を歩けば、茶パツ。電車でつくづく眺めてみると若い人は黒髪が少ない。ことに女性は九割は色の濃淡こそあれ染めている。中には真黄色い髪もある。色とりどりで、それも悪くはないが、たまには、ほんとに緑の黒髪を見てみたいとも思う。それに、この頃は、人力車の車夫のような黒い股引き。それなりに形のよいのは目を楽しませてくれるから悪いとは言わないが、ユニクロあたりで買うのだろうか。
流行に遅れまいとして皆と同じような服装をする人、逆に目立ちたがって、流行に外れた恰好をする人。いろいろあって差支えないが、できれば、も少しシャンとして、清潔そうな姿にならないか、なと思ったりする。それにしても、服装に余り金をかけないでいいとなるのは、助かることで、悪いことではないだろう。
(2009.6.16)