六月八日(朝)朝日の見出しである。法人化した国立大学に対する運営費交付金は〇四年度一兆二四一六億円であったが、毎年一%減り、さらに人件費も五年で五%削減のしばりがかかっている。その影響はとくに研究費の節減に表われて、もう限界であるとも言う。
国立大学を法人化する時、私は、党の行革本部の副本部長で、国立大学全体を一法人とすることを強く提唱したが、行革本部の他の役員も文科省自体も各大学ごとに一法人とすることを固執し、結局その線で法案は成立した。
旧制七帝大のように昔からある大学はいろいろな財産を持っているが、新設大学は、処分しようにも種がないし、又、大きい大学ほど収入の道を見つけられるし、寄附も受け易い。そこに格差が増大して困る事態になるのではないか、と警告を発していたが、果して、そのような、いわば貧富の格差が顕著となっているようである。
私は、国立大学の存在価値は特に研究面において存在するのではないか、と思っているが、今のように、とかく収入に結びつくような研究に余り身を入れるようになると、大学の企業化は進むのはいいとして、大きな、とくに基礎的な研究がおろそかになるのではないかと憂えている。
(2009.6.16)